浦和地方裁判所 昭和30年(ワ)41号 判決 1960年6月23日
原告 株式会社埼玉銀行
被告 秩父市
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は
「被告は原告に対し金二、〇四七、七五七円およびこれに対する昭和三〇年三月一〇日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え」との判決ならびに仮執行の宣言を求め
請求の原因として
原告は銀行であり、被告は昭和三三年五月二一日、埼玉県秩父郡影森村が町制を敷いて影森町になつた後これを合併したものである。
訴外荒川建設株式会社は右影森村との間に、昭和二八年八月二六日村立影森中学校の新築工事を報酬金二二、〇〇〇、〇〇〇円と定めて請負契約を締結したが、独力で工事を施行するだけの資力がなかつたので、原告に対し資金の融通を申し込んだ。そこで同日頃原告と訴外会社との間に、「原告は右請負報酬金を担保として、訴外会社に工事施行の資金を融通する。訴外会社は工事の進行にともない、影森村から報酬金の内渡を受けることになつているが、これを訴外会社が自から受取らず、原告が直接受取つて貸付金の弁済に当てることができるように原告に右報酬金の受取りを委任する。そして双方からこの委任契約は特殊契約であるから合意によらなければ解除できないことを明らかにして影森村の承認を得ることにする。」との契約が成立した。
しかして同日訴外会社代表取締役金山克己は、原告銀行本店営業部長川端藤三郎を受任者訴外会社を委任者とする(イ)受任者は影森村が委任者に支払う影森中学校新築工事請負報酬金二二、〇〇〇、〇〇〇円を代理受領することができる。(ロ)受任者の右受領権限は特殊契約に基くものであるから委任者受任者双方の連署のうえでなければ解除することはできない旨を記載し、訴外会社代表取締役と原告銀行本店営業部長が連署した同日付の委任状を、影森村代表者村長松本多治見に提出し右委任契約の承認を求めたところ同村長は右委任契約を承認し、同委任状に同村長名義の同日付右承認するとの奥書をした。
そこで原告は訴外会社に資金を融通し、同会社は工事を施行した。このように請負報酬金債権の受領について当事者の合意によらなければ解除できない特殊な取立委任契約を締結して請負業者に融資することは金融界において所謂ひもつき融資と称して広く行われるところであつて、その目的は請負人の信用を考慮して形式上は請負人が報酬金を受領し、融資者は単に取立を委任されたものとするが、実質は融資者が自ら報酬金を取立てて弁済に当てることができるものであつて、この融資の担保のための特殊委任契約につき注文者の承認を求め、注文者をこの契約に加入させ、三者の間に報酬金の支払方法につき、請負人は以後注文者に報酬金を直接請求しまた受領することができず、取立てを委任された融資者がその権利を取得し、注文者は融資者にのみ報酬金を支払う契約を成立させ結局は融資者は請負報酬金債権のうえに質権を設定したのと同一の効力を生ぜしめるところにあり、影森村は右委任契約を承認して原告と訴外会社との債権担保の契約に加入し、前記の報酬金の支払方法についての契約を締結したものであるから原告に対し請負報酬金の支払義務がある。
仮りに報酬金支払方法に関する右のような契約が成立しなかつたとしても、請負人が工事施行の資金を銀行から借り受けるさいにその工事の報酬金で借入金の弁済することを約し、この弁済方法を確実にするために銀行が直接右報酬金を受取つて債権の弁済に当てることができるように報酬金の受領権限を銀行に委任し、かつ委任の解除権を放棄し、この委任契約を注文者が承認した時は請負人は報酬金受領の権限を失い、注文者は報酬金を請負人に支払わず銀行に支払う義務を負担する契約が成立したものとする事実たる慣習があり、影森村は原告と訴外会社との前述の特殊委任契約を承認し前記の奥書をしたものであるから、右事実たる慣習により原告にのみ報酬金を支払う義務がある。
仮りに前記の契約の成立が認められないとしても昭和二九年五月一四日原告代理人金子義治は、同村長に対し原告は訴外会社に影森中学校新築工事の資金として現在三、七〇〇、〇〇〇円を貸付けていること、これは前記のような所謂ひもつき融資であり原告は前記のような承認を得た報酬金受領の委任状を持つていること訴外会社は多額の負債があるため直接同会社に支払がされると原告は貸付金の回収が不能になり、その額だけ損害を生ずることをつげ、当時未払分の報酬金三、〇五二、〇〇〇円は原告に直接支払つてもらいたい旨申込んだところ、同村長はこれを承諾した。そこで少なくも同日同村は原告に対し報酬金の右残額を支払う義務を負担したものである。
ところが影森村は報酬金全額を訴外会社に直接支払つてしまつたので右報酬金債権は消滅し、原告と影森村との間に成立した同債権の履行方法についての前述の契約は履行不能となり、そのために原告は右報酬金を受取つて訴外会社に対する貸付金の弁済に当てる権利が実行出来なくなり、原告は貸付をする都度同会社から手形の振出を受ける方法により融資をしていたが、そのうち振出日昭和二九年二月二七日金額二、二〇〇、〇〇〇円満期同年四月一〇日振出地支払地共に浦和市支払場所株式会社埼玉銀行なる約束手形の未払残金五四七、七五七円と振出日同年三月八日金額一、五〇〇、〇〇〇円満期同年五月一〇日その他前同様なる約束手形金の合計二、〇四七、七五七円について支払を受けることが出来なくなつた。
しかも影森村は、右訴外会社が工事の見込違いや他の多額の債務のため建築中の右工事は差押を受け、使用人の給料の支払も出来ず社長の個人財産も手放さなければならない窮状に陥り、工事の進行ができなくなつたので、工事を完成さすためには現金を同会社に交付する必要があると考え、報酬金を訴外会社に支払えば同会社は工事施行の資金にしてしまつて原告に支払わず原告の訴外会社に対する貸付金は弁済を受けることができなくなることは明かであり、かつ原告の貸付金は昭和二八年八月二六日頃には請負報酬金全額に近いことは当然予想され、また昭和二九年五月一四日頃は約三、〇五二、〇〇〇円であることを同日前記金子義治から通知されて知りながら支払つたものである。よつて前述の原告が訴外会社から支払を受けることが出来なくなつた、貸金二、〇四七、七五七円は影森村が原告に報酬金の支払をしないで、かえつて訴外会社に支払つたため原告に生じた損害であり、かつ同村はこれを予想していたものであるので同村が原告に賠償すべきものである。しかして被告は合併により同村の義務を承継しているので、被告に対し同金額およびこれに対する本訴状送達の翌日である昭和三〇年三月一〇日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による損害金の支払を求めると述べ、証拠として甲第一ないし第八号証を提出し、証人川端藤三郎同金子義治同金山克己同江田都美志同浅美己酉二被告代表者松本多治見の各尋問の結果ならび伊達良治の鑑定の結果(一、二回)を援用し、乙号各証の成立をいずれも認めた。
被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、被告と影森村が合併した事実、同村と訴外荒川建設株式会社とが請負契約を締結した事実、委任状が同村に提出され村長名義で承認するとの文言を記載した事実および訴外会社に報酬金全額を支払つた事実はいずれも原告主張のとおりこれを認め、右委任状に承認する旨の記載をしたのは同村江田助役であるが、これは原告と訴外会社の間に委任契約があることおよび原告が訴外会社に代理して訴外会社のために支払を求めたとき支払うことを認めたにすぎず、訴外会社に支払わないで原告に支払う義務を負担したものでなく、したがつて同村と原告との間に何等の契約も成立した事実はない。
仮りに同委任契約が原告主張の特殊契約であるとしても、それは原告と訴外会社との関係に止まりそのため影森村の承認の意味が変るものでない。また原告主張の慣習の存在は否認する。仮りに慣習があるとしても、影森村はその慣習による意思を有しなかつたものであるから右慣習により影森村は原告に対し何等の義務も負担していない。影森村が請負報酬金を訴外会社に支払わずに原告に支払う義務を負担したものでない事は原告は委任状の承認を受けた後も影森村に対して支払を求めたことがないうえ、影森村が訴外会社に対して報酬金を支払うには原告銀行秩父支店宛の小切手を振出していたものであるから、原告はこの支払いの事実を知つて容認していたものであるので、この点に照しても明らかである。
さらにまた昭和二九年五月一四日に原告代理人との間に原告主張の契約が成立した事実もない。
その余の原告主張の事実はいずれも知らないと述べ、証拠として乙第一号証の一ないし二十三、第二、三号証第四号証の一、二第五、六号証を提出し、甲第四、五号証は不知、その余の甲各号証の成立はいずれも認めると述べた。
裁判所は職権により自治庁長官および社団法人全国建設業協会長に対し各調査の嘱託をした。
理由
訴外荒川建設株式会社と影森村との間に昭和二八年八月二六日村立影森中学校の新築工事を報酬金二二、〇〇〇、〇〇〇円と定めて請負契約が締結されたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第一号ないし第三号証、証人金山克己の証言により真正に成立したと認める甲第五号証、証人川端藤三郎同金山克己の各証言を総合すれば、訴外会社は原告に対し同工事の収支計画表(甲第五号証)を示し、報酬金の内渡を受ける都度借入金の弁済にあて、更に融資を受けぬ方法により、右工事施行の資金一七、〇〇〇、〇〇〇円の融通を申込み、同日頃、原告と訴外会社との間で訴外会社の受取る報酬金を原告が直接影森村から受取つて、これを訴外会社に対する貸付金の弁済に当てることができるように、訴外会社は原告に右報酬金の受取りを委任し、この委任は右のとおりの貸付金の弁済を確保することを目的とした特殊な委任契約であるから当事者の合意によらなければ解除できない旨を明にして影森村の承認を受けることと定めて融資契約が成立した事実を認めることができる。
しかして先ず原告は、影森村は同日右特殊委任契約を承認し、原告の債権担保を目的とした原告と訴外会社間の一種の担保契約に加入し、原告影森村、訴外会社との間で前記報酬金の支払方法につき、影森村は訴外会社に支払つてはならず原告にのみ支払う義務を負う契約が成立した旨主張し、被告はこれを争うので判断するに、原告銀行本店営業部長川端藤三郎を受任者、訴外会社代表取締役田中栄三郎を委任者とした、同日付の影森中学校新築工事請負金二二、〇〇〇、〇〇〇円の受取りを委任し、この委任状は特殊委任契約に基くもので当事者双方の連署によらなければ解除できない旨を記載し、委任者受任者の連署した委任状を訴外会社代表取締役金山克己が影森村に提出し、これに同日付で影森村長松本多治見名義の右承認するとの奥書がされた事実は当事者間に争がないが証人金山克己、被告代表者松本多治見の供述によればかえつて右委任状は将来訴外会社が原告から融資を受けるに当り役立てるためのものであることが影森村長と右金山との間で明らかにされた上で奥書がなされたことが認められ、右奥書が原告の言う担保契約に影森村が加入する目的でされたものである事実、または影森村長が特殊委任契約の内容を了承したうえで奥書した事実を認めることはできず、外に原告主張の契約が成立したと認めるに足る証拠はないので、右の争のない事実をもつてしても、影森村は原告が訴外会社のために訴外会社に代つて報酬金の支払を求めたとき原告にも支払うことを承諾したものと認めることができるにすぎず、原告の債権確保のため原告と影森村および訴外会社の間で右報酬金の支払方法につき、訴外会社に支払わないで原告にのみ支払う旨の契約が成立したものと認めるには至らない。次に原告は、影森村は原告と訴外会社との間の債権担保の契約に加入したものでなかつたとしても事実たる慣習があるから影森村は奥書をして承認したことにより原告にのみ報酬金を支払う義務を負担した旨主張し、被告は慣習の存在を争い、仮りに慣習があるとしても影森村は慣習による意思を有しなかつた旨主張するので、まず慣習の有無につき判断するに、原告が銀行であることは当事者間に争がなく、伊達良治の鑑定の結果(一、二回)および証人川端藤三郎同金子克己の各証言には原告の主張に符合する部分もあり而も右証拠中の前記認定の如き委任状を債権者に交付することによつて、債権者が直接第三債務者より支払を受けて、債権の弁済に充てることが巷間屡々行われている点は肯認されるがもともとこの種の事件については(イ)報酬金債権に質権が設定されたものであるとする説(ロ)融資者に債権譲渡がされたものであるとする説(ハ)本質が債権質に極めて類似した取立権のある一種の無名契約若しくは債権質に準ずる性質を有する債権担保の目的のためにする契約であるとする説(ニ)第三債務者は何等の義務を負担しない単なる取立委任にすぎないとする説等各説が主張されていて未だ確定したところがない状態であり、本訴においても原告は事実たる慣習により契約が成立した主張と共に担保契約に加入して契約が成立した旨も主張し、さらに本件弁論の全趣旨に徴しても原告も本件委任状の奥書の効果を明確に把握できないでいた事実が認められ、さらに進んで甲第二、三号証第五号証、証人金山克己同金子義治、同川端藤三郎の証言を総合すれば、かえつて原告は訴外会社に対し最初三五〇万円を貸付け、つづいて影森村から訴外会社に報酬金の一部の支払がされる度に訴外会社から貸付金の弁済を受け更に必要な金額を貸付けて総額約一、七〇〇、〇〇〇円を貸付けたが、訴外会社が支払を怠たるまで一度も影森村に請求したことはなく貸付金の大部分を直接訴外会社から弁済を受けていた事実が認められ、また影森村が訴外会社に報酬金を支払うには、原告銀行秩父支店宛の小切手を振出していたものであることは原告の明かに争わないところであつて、原告は影森村が訴外会社に報酬金を支払つていることを知つていたものと認めることができる。そこでこれ等認定の事実に裁判所のなした自治庁長官および社団法人全国建設業協会長に対する各嘱託の結果を総合して対比し、かつ前記鑑定において、鑑定の結果を導くに至つた調査の資に鑑みるに、前記の原告の主張に符合した各証拠はたやすく信用することができず、また他に原告主張する程度までの慣習の存することを認めるに足る証拠はない。
すると他に証拠のない限り、昭和二八年八月二六日原告主張の契約が成立したと認めることはできない。
次に原告は昭和二九年五月一四日原告代理人金子義治が影森村長に対し、原告は訴外会社に所謂ひもつき融資をしていることおよび奥書のある委任状(甲第一号証)を持つているのであるから報酬金の残額を原告に支払うべき旨申込み、同村長はこれを承諾した旨主張するのでこの点につき判断するに、甲第四号証および証人金子義治の証言には右の主張に副う部分もあるが、委任状および奥書について上記のとおり原告主張の効力が認められない以上奥書を受けた委任状があるからといつて、訴外会社を除いた原告と影森村との間の交渉で、本来訴外会社に支払うべき債務につき、影森村は、訴外会社に支払わないで、原告にのみ支払う義務を負担する旨の明確なる契約の成立を肯認し難いところであり、この点ならび証人江田都美志、同浅見己酉二、被告代表者松本多治見の各供述のうち訴外会社は信用がなくなり影森村は訴外会社の資材の買入れの保証をしていたため、報酬金をその方に支払わねばならず、銀行に支払うことはできないのでことわつた旨の供述に照せば、右原告の主張に副つた証拠を直に信用することができずその他原告提出の全証拠によるもこの原告主張の契約が成立したと認むるに足りない。すると影森村と原告との間に昭和二八年八月二六日成立した契約もしくは昭和二九年五月一日に成立した契約の存在を前提とする被告に対する損害賠償の請求は、右契約がいずれも認められない以上その余の事実につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却し訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 浅賀栄 川名秀雄 宮下勇)